世界一周ブログ -  ヨメ旅

帰国後
  • 腹痛により入院

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    世界一周初心者のヨメブログです。

    病に伏せている写真なんぞ無いので、村の写真を…。と思ったら、ムコブログには病に伏せてる写真がUPされとる。病院で点滴されてるところを撮影とはやってくれるじゃあないか。こちらは村で子供たちとトウモロコシの実をはがす作業中の私。子供たちの方が圧倒的に早い。

    朝起きると熱は解熱剤のおかげか37.4度まで下がってるけど
    相変わらずおなかは最悪な状態。
    不安を抱えたまま旅はできないので、
    ちゃんと血液検査をしてもらおうと病院へ行くことに。

    朝7時過ぎに病院について、すぐに血液採取やら検便やら
    点滴やら問診やらをして、検査結果が出て6本の点滴が終わったのは午後5時。
    一日を病院のベットの上で過ごした。
    しかし病院は「下痢」とか「点滴」とか「嘔吐」とか知らなかった英単語のオンパレード。
    おなかに爆弾抱えた状態でこの難易度の高い英語をクリアしていくのは結構大変(^^ゞ
    ムコに英語の辞書を何度もひいてもらいました。。。

    ネパールはヒマラヤに登りに来て体調が悪くなる外国人も多いのだとか。
    高齢者でヒマラヤに登りたくて挑戦したもののヘリコプターで運ばれてくる日本人も結構いるそう。
    ここはそんな外国人をメイン対象とした病院。
    ちなみに私の治療費$300ちょっと。高い…。
    保険がおりるから問題ないけれど、普通では到底気軽に入れない病院。
    ネパールは平均月給1万円、そして保険料の半分が自己負担。
    地元のネパール人が行く病院は100ネパールルピー(約100円)くらいなところなんだそう。
    旅行で来る外国人はたいてい保険に入ってるから多少高くても
    設備も対応もいい病院に気軽に行けるわな。
    病院も病人も損をしない、いい商売だ、と点滴を打たれながら感心。

    検査結果はマラリアでも腸チフスでもなく、腸にバクテリアが入ったため。
    よかった~。一安心。
    チフスだと感染力が強いから触ったものすべてに消毒が必要になる。
    サントスの家に全身防護服を着た消毒隊がやってくることになったらどうしよう、
    どんだけ迷惑かけることになるか、と想像してはドキドキしてたからホッ。

    キミのミルクにやられたか?!

    みんなで何が原因か話してみて、
    村で飲んだバッファローミルクのせいではないかという結論に。
    バッファローミルクは一度沸騰させて加熱消毒しているんだけど、
    さすがに子供たちと何軒も家をまわってチャイやらミルクやらごちそうになりまくってたからな。。。
    踊り歩いて体力も落ちてたところにバクテリアに攻め入られたかたちだろう。
    無念…!!

    腹痛は病院を出てから夜まで続いたものの、
    もらった薬を飲んで翌日朝にはだいぶ回復。
    夜にはほぼ完治いたしました。
    お騒がせした皆様どうもすみませんでしたー!

    草運びにトライ。20キロくらいの重さ。首がぁぁ。村の人はこれで数時間歩くからすごい。

  • カトマンズの山を下りる

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    旅立ちの一杯のチャイ。朝からお母さんありがとう!そして写真を撮ってくれた子も、ずっとシャッター押す瞬間に力が入ってブレちゃってたんだけど、写真撮るの上手になりました。

    村を出発する時刻は日の出と同じ6:00。
    サントスは午後から仕事にも間に合うし、
    昼間の日差しは強いから、朝のうちに歩くほうが楽でもある。
    5:30起床で荷物をまとめて、
    隣のおうちのおばちゃんにチャイをごちそうになっていると
    まだ朝早いのに何人か子供たちがお別れを言うために家の前に来てくれた。
    ちゃんとおめかしのワンピース来て、ネックレスとかつけて。
    ありがとう。

    村を出るまでに何軒かお家によって、バイバイを言って回った。
    泣いちゃうといけないから短く笑顔でSee youって言って回った。

    いつかまた、子供たちに忘れられないうちにこの村に戻ってきたいな。
    その時にはもっとネパール語を勉強してこよう。
    そして、たくさん踊るだけの体力と、リクエストに応えられるだけ日本の歌を用意してこよう。

    子供たちが「ドラゴン」と呼ぶ山の峰。この景色なら確かにドラゴンが出てきてもおかしくない。

    山道を3時間かけて歩いて、山を越えて、村の麓にたどり着いた。
    バスに2時間揺られてサントスの家があるカトマンズへ。
    このバス、ワゴンなんだけど席数が乗車人数じゃない。
    2人掛けシートには3人。通路には小さな台を持ってきてイス代わりにして1人。
    助手席と運転席のあいだに2人。
    そして私は運転席のシート裏スペースにわずかにお尻がおけそうな場所を見つけて座った。
    その後お客は増えて立ってる人も多数。
    2時間の山道を超満員のバスが行く。
    シートベルトもへったくれもない。万が一事故でも起きたら大大大惨事に違いない。ひぃ。

    無事にカトマンズにバスが到着して、サントス家でお昼をいただく。
    大きな銀のお皿に定番の山盛りごはんとカレー風味のカリフラワーとピリッと辛い煮物と
    豆のダルスープ。たくさん歩いたからご飯がおいしい!

    村でもカトマンズでもご飯は右手を使っていただきました。でも慣れないからいっつも食べ終わるのは私が最後。む、むずかしい・・・。

    …と、ここまではよかったんだけど、昼食後家族と団らんしていたら
    なんだかおなかの様子がおかしい。。。ぐるぐるしてちょっと痛い。
    疲れもあったから部屋に戻ってうずくまって休むことに。
    でも、一向におさまらないおなかの痛み。
    ずんどこずんどこ、これはまたずいぶん派手に痛むじゃありませんか。
    そのうち、なんだかものすごくほてっているような。。。
    熱を測ってみたら39.7度!!アカーン!大人が出しちゃいけない体温!!
    しかもまだ暑いはずのネパールなのに寒気がして毛布2枚かぶってもまだ寒い。
    コレは…。

    世界一周をしていて39度を超える熱が出るのは非常に危険。
    さまざまな伝染病の疑いがあるからだ。
    マラリア、デング熱、腸チフス、A型肝炎、黄熱病。
    そのほかにも日本にはない伝染病が海外にはまだたくさんある。
    しかもケニアとインドはその危険が非常に高い。
    予防接種も7種類受けてきたけれど、予防注射のないマラリアは特に注意しなくてはならない。
    初期の高熱で気づいて診断できなければ死に至る可能性が高い。
    予備知識はいろいろ詰め込んできたつもりだけれど、いざ高熱が出てみると怖くて仕方ない。

    サントス家に相談すると「夜はいい病院がないから解熱剤を飲んで様子を見るほうがいいだろう」とのこと。
    看護師さんであるサントスのお兄さんの奥様に血圧なども見てもらい、解熱剤をいただく。
    『マキが倒れた』という話は瞬く間にサントス家に広がり、
    家族がかわるがわる様子を見に来てくれた。
    みんな心配そうに大丈夫か?と聞いてくれて、ネパール語とジェスチャーで
    ゆっくり休むように、とか、ちゃんと栄養取るように、とか言ってくれる。
    かわるがわる家族が10人くらいが来てくれるもんだから
    実は高熱でその都度「大丈夫」と答えることも辛かったんだけど(^^ゞ

    そのうち、寝込む私のいる部屋で“村で撮った写真鑑賞会”が始まった(笑)
    みんな村を出てきてるから久しぶりの村の様子に大盛り上がり。
    え~、私寝込んでるんですけど…。風邪うつるかもしれませんよ?
    そんなことはお構いなしで、さっきまで心配そうにしてたのに
    「マキ、この写真を見てみて!」と挙句の果てに病人を起こす始末。
    でも、家族がわいわいいて、すぐ横でにこにこしてくれてたら
    なんか“大丈夫”って気がして心強かった。

    相変わらずぐるぐるぴーぴーいい続けるおなかは
    夜中に私を30分おきに10回以上トイレにいかせ続けるのでした。
    はぁ。。

    生後0か月の赤ちゃん。家の軒先で太陽の光を浴びながらオイルマッサージをしてもらって、ぐっすり眠ってました。

    78歳のおばあちゃん。夕方、軒先でにんにくを剥いてました。

     

    学校がない土曜日は朝からお昼までは家の手伝い。子供でもこんなに大きな草を頭に引っ掛けて運びます。大人が運ぶ草は20キロ以上になるんだとか。この草は家畜の山羊やバッファローの餌になります

    子供目線の写真は私じゃとれない空気が漂ってる。

  • 歌えや踊れ

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    朝日と共に起きてみようと思ったら、それより前に窓の外からの子供たちの声で目が覚めた。
    来よったか~、そんな気はしてたんだよなぁ、日の出から遊ぶ気満々の子供たち。
    目を輝かせて私が起きてくるのを家の外で待ってる。
    うぅ、おばちゃんはまだ少し眠いですが、起きますよ、はい、起きますよ。

    朝起きたらそこは雲の上でした。思わず見とれる景色。

    早起き組は8人くらい。
    「ねー、テンプル行こう!」ということで眠気眼で山道を歩く。
    途中、「これ、チリ(唐辛子)食べたら辛いよ~、ほら」と食べるパフォーマンスを見せてくれたり
    「これはグァバの木。実を食べられるよ」と木に登って何個か実をとってくれたり、
    「あれは私のおばあちゃんの家、はーい、おばあちゃーん!」と叫んでおばあちゃんを呼び出したり。
    にぎやかさに目も覚めてきたころ、テンプルとよんでいた場所に着いた。
    石で囲われた中に村の神様の石が祀られていた。
    みんなが祈りに来ているしるしに赤い粉やオレンジの粉やマリーゴールドが飾られている。
    子どもたちに言われるままに手を合わせて、お祈りの言葉を私も復唱する。

    道々、子供たちがあちこちから花を摘んできては髪にさしてくれた。おかげですごく陽気な日本人の出来上がり(笑) この日はほぼ一日子供がカメラを撮っていたのでナイスショットもあればブレブレショットも多し。子供目線の写真は面白い。

    うちのおじいちゃん!ということでモニカちゃんが撮影。それにしても村を歩いていてもたくさんおじいちゃんやおじちゃんがいる。何人か奥さんがいたりするからたくさん親戚がいるのだ。

    テンプルを出るとどこで噂を聞きつけたのか、またもや新しい子供たちが増えている。
    また20人くらいに囲まれて、踊って攻撃。
    朝7:00から村の神様の目の前の丘でふらりふらりと舞う日本人。
    嬉々とした笑顔で見つめる村の子供たち。
    なんて平和な光景。

    踊りつかれて家に戻ろうと言うことになり、
    一緒に来た子供たちとサントス家を目指す。
    デンジャラスロードと子供たちが呼ぶ、来た道とは違ううっそうとした森を抜けるルート。
    細い小道、湿った岩々をを登って行く。
    トトロの世界みたいだ。
    突然視界が開けるとサントスの家の裏に出た。
    さすが、こんな裏道を知っているなんて。

    朝7時に丘の上での舞い(笑) 私とラクシュミーちゃん。私のかめらで子供たちが踊りの写真もたくさん撮ってくれてました。

    ちょっと疲れたので、子どもたちの踊って攻撃から身をかわすため
    お隣の英語もちょっと話せる20代のお姉さんの家でバッファローミルクをいただきながら話をする。
    …でも、子供たちも離れずにずっと1メートルの距離で私たちの会話を見守ってる(^^ゞ
    リラックスできましぇん(笑)
    このまっすぐなまでの興味がうれしくもある。

    ミルクが飲み終わるが早いか、「遊びに行こう」と言う。
    大人たちが気遣って「遊びはまたあとで!」とぴしゃりと言うと、
    おとなしくなったかに見えた、が、口パクで私だけに見える位置で
    「遊ぼう!あっちに行こう!」とジェスチャーしてくる(笑)
    しばらく見て見ぬふりをするも、うーん、根負け(^^ゞ

    結局、連れだって女の子たちの家めぐりへ。
    それぞれの家で家の中と家族を紹介していただき、
    チャイや食べ物を出していただいてごちそうになりながら話したりダンスしたり。
    次から次へとお家をはしご。
    どの家族もあたたかく迎えてくれて、チャイをたくさんいただいた。

    子供がしてくれたメイクのまま畑から取ってきた夕飯のえんどう豆の中身を取り出す作業をお手伝い。

    村にはお湯のシャワーはないので、湧水を桶に貯めて日中の日で常温になったところで
    昼間の温かいうちに体と頭を洗う。
    体を洗った女の子はメイクを始めた。
    目の周りをぐるりと黒く縁どる。ネパール女性のメイクだ。
    ネパールの女の子は生まれて半年の儀式で左の鼻と両耳にピアスの穴をあける。
    だからみんな小さいうちから金色のピアスが光ってファッショナブル。
    一番なついてくれていたモニカは私にメイクをしてくれるという。
    慣れた手つきでアイラインをかいてくれて、特別に口紅もぬってくれるみたい。
    でもモニカの家には口紅がなくて、三菱鉛筆の赤色鉛筆の芯のところをつばで濡らして
    少し柔らかくして唇に塗りつけてくれた。
    メイク用じゃないから、ちょっと痛い…。
    この村での子供のトクベツメイクをしてもらって、庭の花を頭にさしてもらって、
    見た目も心もうかれぽんちな私。
    子どもたちは本当に楽しそう。私もそれはそれは楽しそう。

    今宵も歌えや踊れの宴がサントス家の前で開催された。
    男の子たちは「ドラマ」なる演劇を見せてくれた。
    内容はカンフーのような戦いごっこ。
    3歳の子から14歳までの少年が入り乱れて敵と味方に分かれて蹴ったり飛んだり。
    みんな片手バク転ができるから迫力満点。
    最後は誰かが勝利してほかのみんなはやられて倒れる。
    3歳の子もほとんど失敗するんだけど果敢にバク転をしてみせる。
    年齢関係なく全員が一緒に遊んでる。村ではみんなが強いきずなで結ばれてる“仲間”だ。

    女の子たちには影絵を教えたり、アルプスいちまんじゃくの手遊びを教えたりして遊んだ。
    私は明日の朝6:00にこの村を出発してカトマンズに戻る。
    今夜寝たら、明日の朝バイバイをするだけになってしまう。
    ちょっと切ない村の夜。

    はにかみ屋の女の子。シリアスな表情が魅力的な子でした。

  • うんちで家掃除

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    銀色の甕は水入れ。湧水汲んできて溜めておきます。銀色のお皿で食事をいただきます。この土でできた床を拭き掃除したのですが…。

    山の村での生活初日の夜。
    お隣のお母さんが夕食を一緒に作ってくれた。
    私はサントスとかと一緒にご飯を一番にいただいちゃったけど、
    本当は女性はご飯を食べるのは最後。

    ご飯を作って、男たちにおかわりを継ぎに回って、男たちが食べ終わったら
    最後に台所のすぐ横でお母さん(女性)がご飯を食べます。
    食べ終わったらかならず台所兼リビングの床を水と雑巾代わりの粘土質のもので拭き掃除。
    ご飯を食べ終わって、お母さんが床掃除を始めたので
    「私にもやらせて」と変わってみたのはいいものの、ム、ムズカシイ…。
    水を適量まいた床に、ネチョネチョした粘土みたいな雑巾代わりのものを這わせる。
    水の量が多かったのか、こすったら土の床を一部はがしちゃった…。
    ごめんなさーい!!!
    ケラケラ笑われながら、こりゃまずいと思い、おかあさんに選手交代。
    で、「手のにおいをかいでみな」と言われて嗅いでみるとかすかに臭い?
    「その粘土みたいなのは牛の糞だよ」
    うそーん、牛の糞100%??
    知らなかった、めっちゃ手でこねまくっちゃった(^^ゞ
    水と混ぜると吸着力もましてご飯粒やほこりをしっかり掃除できるみたい。
    うむ、人生初体験、牛の糞にぎってしまった。

    村の女性は偉大だ。毎朝と夕飯後に家中を掃除する。私の隣のおばあちゃんは78歳。ずっと村で育ってきた。村には動物と人間の両方を診られるお医者さん(?)がいるけど、病院や薬はそろってない。おばあちゃんは年のせいでたまに足が痛んで辛いんだそう。でもパワフルなんだな。

    ご飯は土でできたかまどで鉄製のボールや鍋を使って作る。
    食器は庭で雑草やトウモロコシの皮を使って、灰を石鹸代わりに磨き上げる。
    水は貴重なので一皿洗った水は二皿目にも活用。仕上げ流しはきれいな水で。
    洗いあがった食器は部屋の床の上か、庭の雑草の上で乾かす。

    ここは電気がないのでろうそくの灯かりの元、サントスは1年ぶりに戻ってきたという村で、
    村中から集まった親戚や友人たちとわいわいおしゃべり。
    日没しちゃうとまだ8時だけど一気にあたりが夜になる。
    何にも見えないし、踊りつかれてもいたので
    夕飯をいただいてそのまま2階の部屋で寝ることにします。

    日の出は朝6:00くらいらしい。
    朝日と共に起きてみよう。

    薪で調理して、その灰を石鹸代わりに食器を洗う。スポンジは乾燥させたトウモロコシの皮。使いおわったらそこらへんにポンと投げて自然へかえす。

  • ネパールの山の上の村でホームステイ

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    山道をずんずん歩く。私、歩くの遅いからしんがり。

    今日からサントスの育った山の上にある電気も水道もガスもない村に
    泊まりに行かせてもらう。
    カトマンズのサントスの自宅から歩くこと30分で大通りへ。
    大通りで50分待って、バスをつかまえて2時間揺られて山の麓へ。
    ほったて小屋みたいな八百屋で分度器を使って天秤により重さを量って野菜購入。
    同じくほったて小屋みたいな屋台レストランで昼食。
    さて、ここから山を一つ越えて、もう一つの山の上が目指す村。
    歩きますよ~~。

    一つ山を越えたところで幅15メートルくらいの川。靴脱いでズボン捲し上げて、流されないように手をつないで、さあ、川を渡ります。アドベンチャー!

    山のふもとの八百屋さん。大きな天秤で野菜の重さを量って購入。明日からの野菜は村の畑からだけど、今夜の夕食分の野菜はここで調達。荷物に入れて村まで運びます。

    この旅でてから本当によく歩くようになった。
    数時間歩くことが気持ちいいと思えるようになった。
    日本にいたときは電車とタクシーに頼りっきりだったから、
    1時間以上歩くってことめったになかったもん。

    滑りやすいと言われているオールスターのスニーカーだけど
    私はこれでいいのだ。これで歩いてみせるのだ。
    ごっつい登山靴買っちゃうと街中で履けないじゃない?
    それに、一緒に歩いてるサントスの妹のアンジューと姪っ子のエリッサは
    レギンスにサンダルという出で立ち。
    彼女たちより10歳年上ですが、負けてられません!
    登り始めて1時間、汗もだくだくで息も切れるころからなんだかアドレナリンが出て、
    妙に気持ちよくなって同じテンポで歩き続けたくなる。

    山道の途中にあった小学校の前で。デジカメに興味津々の男の子。いい笑顔!

    たまに木陰で休憩。
    ネパールの人は即席ラーメンをよく食べる。
    お湯がなくてもおかし代わりにベビースター、いやラーメンバー並みにぼりぼりと食べる。
    基本は朝ごはんは食べずに11時ころにお昼ご飯、
    3時に軽いごはん(ここで即席ラーメンがよく登場する)
    夜8:00ころにたくさんの夕ご飯を食べる。
    木陰でも即席ラーメンをくだいて、調味料を入れてまぜてぼりぼりと。

    3時間半歩いたところで村の入り口に到着。
    入口のおうちで歓迎で出してもらったラッシーみたいな牛乳を発行させた冷たい飲み物、
    すっごくありがたいしおいしかったんだけど、おなかのことを考えると
    怖さもあって、大半残させてもらった。
    申し訳なくて心が痛む。ゴメンナサイ。

    村の家ではたいていバッファローと山羊を飼っている。バッファローは大切な栄養源のミルク。山羊はたまにいただきます。

    どこからともなく子供が集まってきて、
    気づいたら歩いてる私と手をつないできた。
    外国人の女性がめずらしいのかもしれない。
    あっという間に村の子供たちに取り囲まれて、
    走り出す子供たちに手を引っ張られるままムコたちとはぐれて見知らぬお宅へ。
    「ナマステ。どうも…。」
    「こっちがお母さんでこっちがお父さん。私のおうちなの」嬉しそうな笑顔の女の子。
    遠くで私を呼ぶ声。そら、探すわな。
    まだ何か話したそうな女の子に「メロナム マキ ホ」と名前を伝えると
    「あとで遊びに行くよ、マキ」とのこと。
    (ちなみにたまに単語の英語は混じるもののほとんどネパール語なのでなんとなく理解、です)

    ここが村での私たちの家。サントスが生まれ育った築100年以上の土の家。

    彼女の家から1分くらいのところにサントスの育った家があった。
    1年前に家族中、おじいちゃんもおばあちゃんもカトマンズの町に引っ越してきちゃったから
    今は空き家のサントスの家。
    土台は石、そのほかは土でできてる築100年以上の大切にされてきたお家。

    あの家に外国人が来てるよ、という噂は小さな村ではすぐに広まったらしく、
    30分後には大勢の子供たちがサントス家の前に集合。およそ20人くらい。
    みんな自分たちの名前を教えてくれて、「踊ってよ」という。
    踊る??
    日本人にとっては慣れない行為だが、村の子供たちにとっては遊びの一環で自然なこと。
    「見本を見せてよ」というと手拍子とともに歌をみんなで歌って数人が踊ってくれた。
    みんなケラケラ、にこにこ、最高に楽しそうに踊る。
    「じゃあ、次はマキとダイチの番」ということで、
    見よう見まねで踊ってみたけど、そんなにうまく腰とか手首とか動かないよ~。
    変な日本人の踊りを見せてしまいました…。

    踊る日本人。これはまだ踊り始めで元気なころ(笑)

    太鼓も加わり歌と踊りの宴は熱を増していく。

    誰かが家から太鼓を持ってきて、太鼓のリズムも加わって、踊り大会は続いていく。
    踊り始めは夕方だったのに気づいたら周りは真っ暗でひとつの懐中電灯の明かりの元、
    みんなで歌い踊り続ける。
    日本の歌を教えてよ、というのでキャンプファイアーを思い出して輪唱のできる『大きな歌』と
    ネパールでも今放映されている『ドラえもん』のオープニング曲を披露した。
    そのほかにも『上を向いて歩こう』とか『森のくまさん』とかムコと二人で熱唱した。
    でも、日本の歌ってゆったりで踊れないよね、ごめんね。
    日本の踊り、ということで『東京音頭』も歌いながら披露。
    子どもたちもウェルカムの歌を歌ってくれた。
    英語ができる14歳のロションによると「この村に来てくれてありがとう。歓迎するよジャパニーズ」って意味らしい。
    踊って踊って攻撃と日本の歌歌って攻撃にあいながら、3時間。
    子どもたちはまだまだパワフルだったけど、夕飯の時間です。
    「明日の朝またね」とみんなそれぞれ自分の家へ帰って行きました。

    ヘトヘトの31歳(^^ゞ
    これはすごい日々が始まりそうです。

    山歩きの途中で出会った子供。